グアテマラ・その後
縁あって、前回の訪問から
10ヶ月後の2000年8月末、再びグアテマラを訪れる事になった。今回は日本から遊びに来ていた私の友人と、コスタリカで勉強している大学生のガイドとしての訪問だったが、中米は勿論のことラテンアメリカ訪問もはじめての彼女達にも「社会科見学」をと、現地で活動している私の友人たちにも引き合わせたり、現代史解説を含めたりしつつ案内した。
1.CONAVIGUA
グアテマラ到着翌日の午前中、CONAVIGUA(連れ合いを奪われたグアテマラ女性の会)のオフィスを訪れる。迎えてくれたのは、そこに「居候」をはじめて
10年になるボランティア、石川智子さんだ。私自身も会ったのは3年前以来2度目なのだが、彼女のざっくばらんな性格もあってか、あたかも数十年来の友人に逢ったようだった。とりあえず今回の私の連れ二人に、石川さんからグアテマラの歴史やコナビグアのことなどを説明してもらう。話を聞く二人の顔は、つい数十分ほど前までメルカドで買い物をしていたときのそれとは明らかに違ってくる。誰だって、数万人の虐殺や百万人単位の難民の話を聞けば、そうなるというものだろう。
CONAVIGUAには、その名の通り、36年に及ぶ内戦で夫や家族を失った女性たちが集まっいる。彼女達は、そこで共同生活をしたり、女性のための自己啓発セミナーを開いたり、訴訟の支援をしたりしている。95年に北京で開かれた国連女性会議からもメンバーが参加し、その帰途に日本へ寄ってもいる。内戦時、最も抑圧的だったと言われるリオス・モント氏が党首であるFRG(Frente Repblicano Guatemalteco…グアテマラ共和戦線)が与党である現在、彼女達の立場は決して良くはない。しかも、和平合意が為された1996年末以来、援助の口も減ってきている。そんな中でも、彼女達に暗さは感じられない。それは強さと呼べるものなのだろうか。私には分からない。が、弱さとは対極にあるものということだけは確かだろう。
私が石川さんのパソコンの調整をしている間、連れたちの姿が見えなくなった。どこにいったのだろうと思って辺りを見まわしてみると、階段の下の狭いスペースで、新聞紙で折った兜を被った少年達を発見した。こんなところで折り紙を教えていたのか、と、私も参戦して、リクエストにより紙鉄砲をこしらえる。子供たちはいつでもどこでも無邪気だ。しかしその行く手には何が待ち受けているのだろうか。日本の子供たちは今ごろテレビゲームに夢中なのだろう。
2.サン・アントニオ・アグアス・カリエンテス
「地球の歩き方」というガイドブックに小さく紹介されていたこの集落に、連れが行ってみたいという。というより、「現地の人が生活しているところを見てみたい」ということだった。滞在先のアンティグアから近いこともあって、午前中に尋ねてみることにした。
村について、とりあえずパルケ(公園)を目指す。それに面して教会がたっているはずなので、すぐに分かる。教会ではミサを行っていた。その脇に、新しめの2階建ての建物がある。観光客相手の土産物屋のメルカドだ。人影まばらなその村には、わざわざそのメルカド民芸品を買い付けに、観光客のマイクロバスが乗りつけてくる。しかし、小銭入れの値段を聞いてみたところ、10ケツァル(1ドル=約7.7ケツァル)という。アンティグアのメルカドでは値切って3ケツァルだ。ここのは違う、とおばちゃんたちが売りつけてくるが、どっこいそう簡単には騙されない。写真を撮っていいかと尋ねると、じゃあ何を買うんだとくる。しっかりしている。話を聞いてみると、44歳だというそのおばちゃんは、物心ついた時から観光客相手の商売をしているという。なるほど、そりゃ商魂たくましいわけだ。うちとけたところで、政治の話をふってみる。すると、政治のことは何も知らない、と言う。じゃあ、去年の大統領選には投票に行った?と聞いてみると、行ったと答える。ここだけの話、どこに投票したか、よかったら教えてくれる?と尋ねたら、予想通り答えはNOだった。世界遺産アンティグアに程近い観光客相手に民芸品を売る村のことだ、統制はばっちりというところなのだろう。ここでは政治の話にはみな口をつぐむのさ、と半ば諦めたような笑顔で私に法外な値段で小銭入れを押しつけてくる彼女も、やはりこの国の強権政治の犠牲者と言えるだろう。
家々の壁に書かれてある、FRGの青いプロパガンダがやけに目立った。
3.フアン・レオン
彼は、マヤ民族だ。こう言うと、皆さんはどういういでたちの人間を想像するだろうか。例えば、私は大和民族だ。それとどう違って聞こえるだろうか。こうやって対比して見ると、本質は一緒のはずなのに、何か違って聞こえているようには感じてはいないだろうか。
そう、彼は、彼の回りのどこにでもいる普通の男である。しかし、それ故に、命の危険を常にさらされながら生きてこなければならなかったのだ。マヤ民族であるが故に、そしてマヤ民族であることを自覚したが為に。
そのフアンに、1年弱ぶりに再会した。去年の大統領選挙時に副大統領候補として立候補して以来
(註1)だ。相変わらず陽気で、私の連れ達を笑わせてくれる。どことなく去年よりふっくらした感じだが、疲れも増したような印象を受ける。去年から進行中の、ILO第169号勧告に基づく刑法改正のこと(註2)で頭が一杯なのだろうか。ふと二人きりになって話し出した時、厳しい選挙を戦っていた去年と同じ顔になり、変わらない現状を少しだけ洩らした。議席を失った今、政党として政治の表舞台に再びたつことが出来るのか、またそれが妥当なのか、そうでないとしたらどのようにして法律絡みの問題を変えてゆくのか、プレッシャーをかけるとしたらどの政党か、大衆運動のスタイルを取るとしても、何百にも分裂した先住民団体をどうやってまとめあげるのか…。悩みは尽きず、夜はふける。
(註1)199911月7日、グアテマラで大統領、国会議員、地方首長及び議員、中米議会議員を選ぶ選挙が行われた。フアンはFDNG(Frente Democ
ratico Nueva Guatemala…新グアテマラ民主戦線)の副大統領候補として出馬、あえなく落選。国会議員選挙でも、FDNGが持っていた議席を全て失い、政党登録の要件である得票率4%も獲得できずに、政党としては抹消された。この選挙で、80年から81年にかけてのジェノサイドの張本人であるリオス・モント将軍を再び大統領に推すことを掲げるFRGが大躍進、同党のポルティージョが大統領に就任し、国会でも過半数の議席を獲得した。詳しくはここを参照。(註2)国家の法体系にとらわれず、先住民独自の刑法体系を認めるよう勧告したILO(国際労働機関)の文書。それに基づき、グアテマラのマヤをはじめ、世界の「先住民族」たちが、独自のコミュニティにおける伝統的な刑法体系の尊重を求めて運動している。
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